②駿台の表三郎講師のこと(人間の一生は『問いのレベル』で決まる)

駿台の英語講師で経済学者・表三郎

      【続きです】

こんな事がありました。『すいません!
ここ空いていますか?』隣に座ったヤツ
がコピーのテキストも何も持っていなく
て怪しいヤツだなあと思ったのですが、
『はい、空いてますよ。ところでオタク
どちら様ですか?』と訊くと、どうやら
お隣の近畿予備校の学生だと言う。オモ
テ先生の噂を聞きつけてやって来たのだ
。駿台卒の大学生もちょくちょく講義を
聴きに来ていた。大学の授業よりも面白
いのだろう。予備校講師は魅力が無けれ
ば次はありませんからね。

当時『フツーの国公立大学や同志社に入
れても、近畿予備校には入れない』と言
われておりました。何せ、当時、東の
駿台、西の近畿予備校と言われておりま
して、毎年1300人くらいの学生の内、
300人程度が京大や旧帝大や国公立医学
部にフツーに受かっていましたから。

西の横綱・近畿予備校

この近畿予備校、何でそんなにも入るの
かと言うと種も仕掛けもあって、『受か
るまでやめない』というのがモットーの
一つで、全国から多浪の優秀な生徒たち
が集まって来ていたのです。詳しくは
2022年9月13日のブログを見て下さい。

近畿予備校の連中は、受かるまでやめないので、多浪生が多かった。

話は戻って、その表センセの書いた
『日記の魔力』という書籍を読む機会が
ありました。そこには自らのことを分析
して書いてありました。以下原文です。

20年程前のことだ。私は駿台で『人気講
師』『カリスマ講師』と呼ばれ、少しいい
気になっていたのであろう。実際、教室
では生徒たちがキラキラした目で私の話
を熱心に聞いてくれる。まあ、実際のと
ころはわからないのだが、当時の私には
うぬぼれもあり、彼らが私に心酔してい
るように見えたのだ。

20年前、カリスマ講師と呼ばれ、いい気になっていた。彼らの目がキラキラしており、当時の私にはうぬぼれもあり、彼らが私に心酔しているように見えた。

生徒たちの中には私を『神様』のように
扱い『信者』を自称する者までいた。そ
の結果、宗教者のような自己陶酔が私
の中に芽生えた。自分の発した言葉のエ
イキョウ力の大きさが自分の大きさを見
誤らせてしまったのだ。『カリスマ』と
呼ばれた人の中にはそうした勘違いをし
て生き方を間違えてしまう人も少なくな
い。だが私は何とか『日記』を付けるこ
とで自分を保つことが出来た。

ワタクシはその表センセから学んだ内容
はすっかり忘れてしまいましたが、『雑
談・脱線・寄り道も実は大切なんだよ』
とか「人間の一生は『問いのレベル』で
決まる」ということを学んだ覚えがあり
ます。

人間の一生は『問いのレベル』で決まる。

その表先生、2024年11月に鬼門に入られ
たと聞きました。享年84歳。全国にオモ
テ遺伝子が飛び火し、みんなの記憶に残
るいい人生だったと思います。

        合掌。

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