①駿台の表三郎講師のこと(とにかく、雑談・脱線・寄り道が多かった)

カリスマ講師・表三郎

ワタクシが20歳前後の多感な頃、京都
駿台に英語の講師・表三郎という人物が
おりました。ちょうどバブルの足音が聞
こえようとしていた頃です。彼は1970年
頃の大学紛争・全共闘運動で議長をやっ
ており、旗を振って、メガホン持って、
大阪市立大学(現・大阪公立大学)の学生
運動を指揮し、一躍勇名をとどろかせて
いました。

ヘルメットをかぶり、棍棒を振り回し、全共闘(学生運動)の議長をやっていた。

その後、妻子を養う必要に迫られて、予
備校講師になると一躍人気講師となった
。まあ全共闘で体制に逆らった過去があ
れば、会社に就職なんか出来ませんよ。

妻子を食わす為に予備校講師になった。

会社に面接に行っても、『キミ、全共闘
でメガホン持って、旗振ってたんだって
ね!』『ハイ!』『あっそう、髪を切って
せっかく来てくれて悪いんだけど君、不
合格!』まあこんな感じ。当時、ユーミ
ンの曲『いちご白書をもう一度』に学生
運動に参加したあと、髪を切って就職活
動をする主人公の姿が描かれていました
。まさにあの世界。

『君、全共闘の議長をやってたんだってね!』

その表センセ、まれなカリスマ性から全
国に、『オモテ信者』なる教え子を多数
輩出し、どうやら、田舎から出て来たば
かりのワタクシも、その大きな渦の中に
呑み込まれていました。『こんなセンセ、
うちの田舎にはいねえ!面白れぇ!』

カリスマ講師・表三郎は全国に『オモテ信者』なる教え子を輩出した。

授業中、オモテ信者達は5つも6つも、
録音機を表センセのマイクの横に置いて
いました。まるでマスコミの記者会見。
そんで席取り合戦がスゴかった。ワタク
シは後ろの方でその光景をしっかり眺め
ていました。

『オモテ信者』たちは講義の時、録音機を置いて、家に持ち帰って何度も何度も繰り返し聴いていた。

その表センセ、90分間の英語の授業の内
、まともに授業をするのはたった20分く
らい。10行くらいの英文を訳す。後の
70分間は何をやっていたかと言うと雑談
・脱線・寄り道・マルクスの話・自分の
今読んでいる本の話・時事の話。

90分の講義の内70分は雑談・脱線・寄り道

高校を卒業して間もない学生達には聞い
たことのない世界の話が、手品師の口か
ら旗が出るように、次から次へと出て来
る。それを面白おかしく語る。まあ、い
わゆる特殊芸ですな。

マルクスの『資本論』などもよく出て来た。『マルクスはこう言っている』が口癖。50代になって、マルクスを捨てたらしい。

授業の英文なんかも今考えてみれば、自
分の愛読書の原文を勝手に編集して教材
に載せていた。哲学の話、受験生を励ま
す話が多かったように思える。内容はサ
ッパリ覚えていませんが。

教材は厚さ3㎜くらいの薄いテキスト。
それでも120人しか入らない教室に150人
位いて、立見席が出来ていた。

120人のクラスに150人来て立見席が出来ていた

立見席の怪しい人達はテキストをコピー
して、ちゃんと授業を受けていた。

                       【続く】

 

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