
『当時三美人』の富本豊ひさ・高島屋おひさ・難波屋おきた
【続きです】
喜多川歌麿の代表作の1つ『当時三美人
』のモデルになっているのは
浄瑠璃の名取・富本豊ひな
両国のせんべい屋の娘『高島屋おひさ』
浅草の水茶屋の娘『難波屋おきた』
まあ、吉原で様々な遊女たちの人生を見
て来た蔦重は女性一人一人に個性がある
ことがわかっていた。

お茶屋の娘『難波屋おきた』なら会いに行ける
美人画の発売後、モデルが働く店には歌
麿が描いた美人を一目見ようと人が押し
寄せた。
しかしまた幕府は『けしからん!このア
イドルブームは世の乱れにつながる』と
いうことで、また版元たちは圧力、自主
規制を始めた。で、蔦重たちは美人画か
らモデルの名前を消すなど工夫をし始め
た。

『けしからん!世の乱れにつながる。』
その頃、歌麿は他の版元からも仕事を引
き受けるようになった。女性のオバケや
妖怪の妖艶な姿を描いた『山姥と金太郎
など。

喜多川歌麿は蔦屋重三郎の版元を離れ、他の版元でチョット変わった『山姥と金太郎』などを描いた
歌麿を自分とこだけに置いてたら世界観
が狭くなる。自由に描かせるために外に
出したのではないか。
『可愛い子には旅をさせよ』だ。

『可愛い子には旅をさせよ』
おしまい