名家の近衛家(公家)と細川家(武家)は№2を狙った戦略(下)

細川藤孝(幽斎) 『麒麟がくる』より

      【続きです】

一方、細川家は天皇から『錦の御旗』を
承った名門。武家でありながら、戦国時
代、細川藤孝(幽斉)が当時の天皇から、
『わしの息子はまだ幼いから、とりあえ
ず息子が成長するまで【古今和歌集】の
詠み方や解釈の秘伝を引き継いでおいて
くれ。』と言われて、『じゃあ、息子さん
が大きくなった時に責任を持ってお伝え
しますから。』と言って引き受けた。

古今伝授(藤原定家の解釈)

まあ、これを『古今伝授』と言うんです
が。この古今伝授のお陰で細川家は命拾
いしたんですよ。

関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦いの時、東軍に決めた細川家
は、たった500の軍勢で籠城。周りを
15000の西軍の兵で取り囲まれ絶体絶命
。この時、天皇の勅使が来て、『細川家
を討つな!天皇の命(めい)である。』
で、命拾い。
細川家が公家のように文化を取り入れて
なかったら、どこかで家が途切れていた
かもしれません。

細川藤孝(幽斎)の籠城

まあ、『日記』とか『錦の御旗』みたい
な絶対的なもの、背骨になるものを引き
継いでいる家は守られているんですかね
え。鉄板みたいなものを引き継いだ家は
強いですな。

      おしまい。

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