【続きです】
近衛家は長い歴史のあいだ、公家であり
ながら、武家のように振る舞っていまし
た。世界最古の直筆日記『御堂関白記』
(藤原道長)があり、そこには公家社会で
、代々地位を保つための秘伝が書かれて
あるんですよ。
戦国時代、公家の関白近衛前久(さきひ
さ)なんて、近衛家の力を取り戻そうと
上杉謙信や信長ら戦国武将たちに接近
し、自ら京都を出向し、軍勢を勢いて
武将のように振る舞っていました。
そんな時、時の権力者、秀吉が近衛前久
の所へやって来て、『オレを養子にして
くれ!』と言われて養子にしたら、
『関白、ちょっとやらせてよ。』と言う
からやらせたら、そのまま関白を息子の
秀次に譲り、『ちょっとじゃねえじゃねえ
か!』と結局、関白の座を奪われ、それ
でも近衛家はしぶとく生き残っていた。
何たって、近衛家は『御堂関白記』を引
き継げる『日記の家』として、五摂関家
の筆頭のポジションを守っていましたか
らねえ。近衛家は天皇から男の子を貰っ
たり、細川家から養子を貰ったり、スゴ
イ戦略をしていました。
これを見ると、『血』よりも『家』なのか
なあと思うんですよ。
【またまた続く】