名家の近衛家(公家)と細川家(武家)は№2を狙った戦略(中)

徳川家茂(武家)と和宮(公家)の婚姻『篤姫』~

   【続きです】

近衛家は長い歴史のあいだ、公家であり
ながら、武家のように振る舞っていまし
た。世界最古の直筆日記『御堂関白記』
(藤原道長)があり、そこには公家社会で
、代々地位を保つための秘伝が書かれて
あるんですよ。

『御堂関白記』(藤原道長の日記)

戦国時代、公家の関白近衛前久(さきひ
さ)なんて、近衛家の力を取り戻そうと
上杉謙信や信長ら戦国武将たちに接近
し、自ら京都を出向し、軍勢を勢いて
武将のように振る舞っていました。

近衛前久(公家) 『麒麟がくる』より

そんな時、時の権力者、秀吉が近衛前久
の所へやって来て、『オレを養子にして
くれ!』と言われて養子にしたら、
『関白、ちょっとやらせてよ。』と言う
からやらせたら、そのまま関白を息子の
秀次に譲り、『ちょっとじゃねえじゃねえ
か!』と結局、関白の座を奪われ、それ
でも近衛家はしぶとく生き残っていた。

豊臣秀吉(武家) 『おんな太閤記』より

何たって、近衛家は『御堂関白記』を引
き継げる『日記の家』として、五摂関家
の筆頭のポジションを守っていましたか
らねえ。近衛家は天皇から男の子を貰っ
たり、細川家から養子を貰ったり、スゴ
イ戦略をしていました。

五摂関家(近衛・九条・鷹司・一条・二条家)の中でも近衛家は『御堂関白記』という藤原道長の日記を代々引き継いだ、筆頭のポジション。『日記の家』と言われる。

これを見ると、『血』よりも『家』なのか
なあと思うんですよ。

     【またまた続く】

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