もうひとつの『源氏物語』(後半)

 

実は弟・源頼信の方が源氏の本流を築いた

                     【続きです】

そんな兄さん頼光の出世を複雑な思いで
見ていた人物がいます。それが頼光より
も20歳年下の腹違いの弟、頼信。頼信も
兄さん同様、摂関家に近ずいて、あわよ
くば出世、ともくろんだのですが、仕え
た主人が悪かった。仕えたのは道長の腹
違いの兄、道兼。関白になるにはなった
ものの、就任後、わずか10日ではやり病
で死去。

で、次に関白になった道長に仕えたので
すが、受領として当時、ろくでなしや野
蛮な連中がいると言われた関東の常陸国
(ひたちのくに)、上野国(こうのずけの
くに)に飛ばされたんです。まあ、今でい
う左遷です。

上野国・常陸国の受領に飛ばされた

でも頼信は兄とは違う道で源氏の本流へ
とのし上がって行くんですよ。例えば、
兄が東大で官僚なら、弟はスポーツで
プロ野球選手。
『今昔物語』にも書かれているんです
が、頼信が常陸国の受領だった頃、税を
納めようとしない地方豪族がいて、名前
は『平忠常』。もともと受領って、悪徳受
領って言葉があるほど、当時ひどいこと
する受領がたくさんいて、税を納めない
のは税の取り立て側に問題があって、腹
がたっていたのかもしれませんけどね。
で、まあ、頼信はその『平忠常』を大軍
勢でやっつけたワケですよ。

平忠常の乱

なんやかんやあって、頼信が60歳頃、ま
た『平忠常』が反乱を起こして、頼信さ
ん、またやっつけた。
で、そのとき忠常には二人の息子達がい
て、息子達は父が死んでも降伏しようと
はしなかったんです。
都ではその処分が問題となって、公卿の
中には討伐を求める者もいましたが、頼
信が息子達の命だけは助けてやってくれ
ないか、と嘆願したので、二人の息子達
の命は、とりあえず助かったんですよ。

時は過ぎて、源頼信から6代後、
『源頼朝』の時代。頼朝は平氏打倒の兵
を挙げますが、敗れて房総半島に渡って
いました。その時、頼朝のもとに馳せ参
じたのが房総の有力武士『千葉常たか』
と『上総広常』。この二人、実は頼信が昔
命を助けた平忠常の息子の子孫だった。

確か、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
では千葉常たかを岡本信人さんが、上総
広常を佐藤浩市さんが演じていたような
気がします。
頼信から受けた恩を忠常の子孫が頼朝に
返したのだ。

この源頼光(らいこう)・源頼信の話が、
もうひとつの『源氏物語』。

ブログ一覧