奈良時代の天智天皇(中大兄皇子)が作っ
た変えてはならない『謎のルール』とい
うのがあって、それによれば『皇位継承
は先帝の意志に従うのが原則である』と
いうもの。これを『不改常典』と言うの
ですが、この謎のルールはそれ以前に誰
も見たこともないし、聞いたこともない
ものでした。研究者によれば、コレ、奈
良時代の藤原不比等が勝手に作ったルー
ルじゃねぇか?って。
不比等はもうこの世にいない天智天皇を
利用して『あっ、そうか。あの偉大なお
じいちゃん(天智天皇)の言葉であれば、
きっと新しい時代にふさわしい考え方だ
ったんだろう』と当時の有力皇族たちに
思わせた。
その頃、持統天皇が亡くなり、皇位を継
承した孫の文武天皇も病気でもう長くは
ない。となればこの国に天皇がいなくな
る。これはマズイぞ。そこで政治家、藤
原不比等の出番。大鉈を振るまった。
不比等はん、『不改常典』という謎の
ルールを使って、草壁皇子の息子の天皇
(文武天皇)が母親(元明天皇)に皇位を譲
るという離れワザを、やってのけたので
した。
ところで藤原不比等って何者?
天智天皇が死に際に『中臣鎌足よ、おま
えはこれまでワシに良く仕えてくれた。
ありがとう。感謝の印にお前に藤原とい
う姓をやるから明日から使うが良い。』
その藤原鎌足の次男が藤原不比等。
まあ、古代日本の最大のプランナー。
その後の日本の国の原型を決めたヒト。
唐に倣って『大宝律令』をつくったり、
長安の都を真似て、平城京を造ったり、
日本書紀を都合よく編纂したり、天皇は
嫡男が継承するのよ、って言う『万世一
系』のルールを創った。
だって、そう決めておかないと『壬申の
乱』のように兄さん天皇が死んだら、弟
と息子が皇位を巡って争いになっちゃう
もん。そうならないように『ルール』を
作って、それを『道具』として使ったわ
けだ。
フツーの人はルールという誰が作ったか
知らない道具に従っていますが、不比等
は『ルール』を『道具』として使った。
まあ、うちの国の人達は『昔からやって
ますよ』と言われりゃあ『ああ、そうで
すか』って、すぐ従いますもんね。