伝説の駿台・物理講師、山本義隆氏の場合

駿台予備学校・物理講師、山本義隆氏

40年以上前の話です。昔、駿台予備学
校にいた頃、学内・校外試験があって、
一番最初に受けた物理のテストの問題な
んか、とても難しくて60点満点中、平均
点が15~20点。ワタクシも17,8点くら
いで、それはそれは貧相な点数で、寝込
んでしまったことを覚えています。

で、問題文の解説を見たら、微分・積分
を用いて解答していた。コレ、大学受験
生の解説じゃねえぞ!プンプンしながら
よく解説を読んでみると、答えの導き方
がそれはそれは美しい。
誰よ!こんな解説したのは?と思ったら
山本義隆先生でした。

あとで、山本義隆先生の大学入試必修
物理(上・下)を買って読んだら、微積
を使って書いてある。だいたい、表紙だ
け見てもちっとも楽しくないし、堅苦し
い。オバケじゃ!で、開いてみたら、逃
げ出したくなるような物理学の副読本。
大学の教科書じゃん!こんなん駿台生、
みんなやっとんのか!

開いたら、逃げ出したくなるようなな副読本

ワタクシ、当時は駿台の物理の先生やね
と名前くらいしか知らなかったんだけど
大学に入って『東大安田講堂紛争』を知
った時、この先生、全共闘(全学共闘会
議)の先頭に立って旗振ってたって言う
じゃありませんか。つまり全共闘議長。
『えっ!そうなん?』

東大安田講堂紛争。警視庁の機動隊が出動

当時、東大理学部の研究室にいて、担ぎ
出されて、『お前、議長やれ!』と言わ
れてやったら、東大安田講堂に籠城する
ことになり、警視庁の機動隊と闘って降
参して、牢屋に入れられ、出て来ても大
学には残れず、食う為に予備校の講師を
した。そして、好きな物理学の研究は空
いてる時間にやった。

全共闘議長時代の山本義隆氏

「学生運動をしてなかったら、山本義隆
はノーベル賞級の物理学者になっていた
」とよく言われますが、『勉強に専念し
ていたら、イチローは東大に現役合格し
ていた』というのと、非常によく似てい
る。
ただ単に「頭がいい」の形容詞として
『ノーベル賞を受賞してもおかしくなか
った』と言われただけだろう。実際、
取れてないモノをタラレバ言っても意味
がない。

彼の物理講義、モノの考え方は駿台の
東大クラスとか医学部進学クラスなど上
位の生徒しか受講できないわけで、魔法
の粉を浴びた彼らは、巣立って行った先
の大学で同じように、魔法の粉をまき散
らす。まあ、山本義隆氏の影響力が全国
隅々まで行き渡るわけだ。その点では大
学に残るよりも良かったのかもしれない
。記録よりも記憶という考え方もあるこ
とだし。まあ、そういうヘンテコな経
歴の持ち主の先生方がこの予備校には
ゴロゴロいました。また、いろんな体験
をしている先生ほど、生徒には人気があ
るんだよな。

40年以上前の駿台の授業風景(こんな感じ)

だいたい、そこに所属している生徒たち
って、授業に出なくたって本読めばワカ
ル連中が多くて、名物先生の講義にしか
出ないヤツラもゴロゴロいました。
当時の駿台は東京と京都、そして大阪に
一つ出来たばかりで、公立高出身のワタ
クシは私立高の圧倒的な底力に打ちのめ
されていました。

 

 

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