週末、ウィークエンドプレーヤーのワタ
クシは、奥さんと一緒にテニスサークル
で汗をかいています。
ここのテニスは多様性に富んでいます。
年齢は18~80才位まで。
レベルも各自それぞれ、目的もそれぞれ。
自分の決めた時間に勝手に来て、決めた
時間に勝手に帰ってゆく。
決して無理をしない。
もう25年くらい経過を観察していますが
、その間、栄枯盛衰、いろいろありまし
た。
でも、最近サークルのレベルが上がって
きたような気がします。
このサークルでやっていた子供たちが
高校、大学を経て、再び社会人になって
帰ってくるんデス。
するとなぜか不思議。
同等レベルの仲間が入部してくる。
まるで、チョウチンアンコウのチョウチ
ン。
明るいチョウチンの元に、サカナが集ま
ってくる。
そういう循環システムが自然に出来上が
りました。
ところで、いつまでたっても上達できな
い人がいます。
そのような人は、「自分には才能がない
」と言います。
デモ、才能がないのではありません。
ステージをクリアしていないだけなので
す。
最近思うのですが、テニスっていう競技
は、何か芸術に似ているんじゃないかな
?
キャンパスの中にラケットいう筆でボー
ルという絵の具を使い、その人にしか
描けない絵を描く。
そして、見る人はその世界観に共鳴する。
まぁ、基本を踏まえた上で自分の型をし
っかりつくって、自分で上演する。
そういう競技だと思うのです。
ウラを返せば、芸術性や型のないテニス
、その場しのぎのテニスにはあまり魅力
を感じなくなりました。
「テニスの王子様」という漫画がありま
す。
中高一貫校の関東の中学テニス強豪校が
全国制覇するというストーリーなんです
が、個性的なキャラクターの子どもたち
はそれぞれ個性的な型を持っています。
そして監督は、子供たちのその武器を
上手に使って勝ち抜く。
自分の型を持つのも大切なんだよと、
作者は漫画を通して言いたいのかもしれ
ません。