歴史学者の話を訊いていて、うちの亡く
なった両親は大変な時代に育ったんだな
ぁと思いました。
生まれたのは昭和の初期。
この頃って、日本の軍部が力を持って
戦争に突入していこうとしていた時代。
時は明治の初め。
「列強の植民地になりたいか、なりたく
ないか」と選択を迫られた日本は、後者
を選んだわけで、ドイツのマネをするこ
とにしました。
その頃の指揮者、伊藤博文たちは、日本
ってドイツにそっくりだなぁと思ってい
ました。
何せドイツは当時、ヨーロッパでは後進
国で、君主が強くて市民社会もできてい
ない国でしたから。
この話を「ヨーロッパのイギリス服、ド
イツ服、フランス服などを売っているブ
ティック」に例えてみます。
当時、日本の指揮者が、どの服が似合う
かとそのブティックに入ってみたら、そ
の頃ドイツ服を着て歩いている人が一番
華々しくて、自分のカラダにも似合いそ
うでした。
ちょうどいいと試着室でプロイセン・ド
イツの服を着てみたところ、これがピッ
タリ。
天皇や政府といった頭や、上半身の大き
な当時の日本のカラダつきに合っていた
のです。
指揮者の中には、大隈重信や福沢諭吉の
ように「イギリス服の方がいい」と言い
張った人もいましたが、伊藤は「ダメだ
!」と言って大隈を政府から追い出し、
結局ドイツ服を買って帰りました。
そして天皇の国家がドイツ服を着て、
大日本帝国を名乗ったのデス。
しかし、このドイツ服には大きな落とし
穴がありました。
この服に合わせて買った軍隊ブーツが、
何と一度履いたら死ぬまで踊り続ける
「赤い靴」だったのです。
日本は軍事国家になって踊り続け、右足
の陸軍、左足の海軍という足を切り落と
されるまでずっと踊り狂っていた。
というのが、明治から昭和前期に至るま
でのこの国の歴史デス。
アンデルセン童話の「赤い靴」は、履い
たが最後、死ぬまで踊り続けるので両足
を切り取ってしまったという怖いお話で
すが、最後は幸せになったんデス。