送る側の気持ち・送られる側の気持ち

折り鶴

 

この前の東日本大震災で、食べ物なくて
とても困っていますっていうんで、救援
物資が送られてきた人がいます。

「オッ、何の救援物資だ?オレ、スゲー
腹減ってるんだよ」

開けてみたら、「心を込めて折った折り
鶴です。これを見て心穏やかに過ごして
下さい」

「えっ!マジ?△メ~▢〇ナ?」
となるじゃないですか。

多少は折ってくれた人の気持ちはわかる
けど。

病院に骨折して入院して、退屈している
ならまだいいんだけど。

で最近、ウクライナに折り鶴を送ろうと
する人達がいます。

女・子供も〇〇されています、っていう
状況です。

そんな時、「心を込めて折った折り鶴
デス」って渡されても、イヤ、イヤ、
イヤってなる。

そこでお金が入ってたら、まだ食べ物
買えますとか、防弾チョッキ買えますと
か、武器買えます、テント買えますみた
いに何か利用法があるかもしれないんで
すが、ウクライナ人的には“処理に困る
謎の紙切れ”を送られるワケですよ。

「ワタシたちはコレを思いを込めて折り
ました、ハイッ」て書いてある。

うわぁ、どうすりゃいいの?

フツーの一般の人って、困っている人の
気持ちが大切で、送る側の気持ちは大し
て大切じゃないんです。

困っている人がコレ欲しい、お金欲しい
なら、じゃあお金送りますって。

でも、自分ファーストの人は自分の気持
ちが一番大切で、送られる側の方の気持
ちは大して大切じゃない。

ウクライナの人がどれくらい困っていて
も、私たちの気持ちの方が大切。

「私たちは折り鶴を送ります」って。

要は、送る側の気持ちよりも送られる側
の気持ちの方を重視しなくてはならない
んじゃないですか?ってことデス。

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