知人に京都の丹後地方出身の人がいて、
「うちは田舎町で、有名話といえば、
戦国時代に細川ガラシャが逃れてきた
場所ということくらいかな。小学生の頃、
道徳の時間に細川家の授業があったのを
覚えてる。」と言っていた。
細川ガラシャって、明智光秀の娘、その
ムコさんは細川藤孝の息子。
つまり、光秀と藤孝は親戚デス。
もし、「戦国大名の中で一番友達になり
たいのって誰?」って聞かれたら、ワタ
クシ、一も二もなく細川藤孝をあげます。
だって、細川藤孝のまわりは歴史の宝庫
なんだもん。
18代目当主は、元総理大臣の細川護熙
さん。
若い頃、室町幕府の最後の将軍、足利義
昭に仕えていたし、その後天下をとった
信長にも仕えていた。
明智光秀とは友達だし、秀吉とも通じて
いて、また茶人の千利休とも友達だった。
あと、徳川家康にも晩年仕えていたし、
何たって当時の天皇の正親町(おうぎま
ち)天皇にも仕えておりましたから。
で、もし聞くとしたら、やはりあの話題
、“本能寺の変の真相”。
「ねぇねぇ、藤孝さん、本能寺の変って
いまだに謎なんだけど、実際どうだった
の?明智光秀から本能寺の変の後、手紙
来たでしょ。2通目、3通目は見つかっ
てみんな知っているんだけど、1通目に
は何て書いてあったの?何で光秀は信長
を討とうとしたの?ねぇ、何で、何で?
」