死でわかっていることは、そこから誰も逃れることができないということ。

阿弥陀如来

 

新型コロナウイルスが世界中に広がって
身近な人が死んでいくと、死というもの
を否が応にも考えるようになります。

あのアップルのスティーブ・ジョブズ氏
がガンを宣告された後にある大学で行っ
たスピーチが気にかかる。

「死は我々すべてが共有する運命だ。そ
れを逃れた者はいないし、今後もそうあ
るべきなのだ。なぜなら、死は生物最大
の発明品なのだから」

まぁ、死ぬのはいつも他人で、死は体験
できません。

誰も死を体験できないままその周りを
巡ることを続ける。

ただ一つだけ死でわかっていることは、
そこから誰も逃れることができないとい
うことデス。

研究によれば、死はグラデーションで、
ちょっとずつズレて起こる。

心臓、肺のキノウが止まっても、脳はま
だ活動していることもある。
逆のこともある。

まぁ、細胞レベルでは生きているという
こと。

細胞の集合体の臓器は、細胞が死んでい
ってだんだん臓器もダメになっていく。

その間に移植が進められるから「脳死」
という言葉が生まれました。

脳は死んでもまだまだカラダの臓器は
元気ですよ、使えますよ、ってこと。

心臓や肺が停止後に生き返った脳死体験
者によると、その時、何か幸福感のよう
なモノを感じたという。

どうもコレ、死の過程で神経細胞から放
出されるエンドルフィン(モルヒネのよ
うな鎮痛作用と幸福感をもたらす神経伝
達物質)のようです。

仏教なんかだと、死にそうな時に阿弥陀
様が西の空からやってきて、ものスゴイ
きらびやかな人達も一緒に連れてくる。

おまけにそこでは音楽が流れていて、雲
とか光とか、豪華だ。

もしかしたらこのエンドルフィンが最期
の仕事をやってくれているのかなぁと、
思います。

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