解剖学者の養老孔子(仮名)さんが、”死ぬ”ことをこんなふうに言ってました。
そもそも、漢字では「犬」とか「猫」とか「猿」とか「馬」とか全部そうですが、一文字あれば生き物か動物か表せる。
「人」だってそう。
でも、「人間」って言うでしょ。
これは中国語で「世間」のこと。
だから人間は”世間の人”というイミ。
で、「世間の人ではない」というのは、まだ生まれていないお母さんのお腹の中にいる赤ちゃん、それは人間ではないというはっきりとしたルールがあります。
母親の一部ではあるけど、まだワレワレの仲間じゃない。
それから、死んだ人も。
で、世間ってのはクラブですから、入ってきて出ていく。
入ってくるのが生まれた時で、出ていくのが死んだ時。
だから死んだが最後、人じゃないし、生まれる前も人じゃない。
こんなはっきりした話はない。
これが日本の社会のルール。
だから死んだ人を物理的にもズバッと排除する。
火葬です。
火葬した方が思いが切れる。
残していたら、本人が残っているという感覚がどうしても残ってしまう。
そうすると世間のルールにひっかかってくる。
お墓の中にはまだ本人がいるなぁと思うと、連続しちゃう。
まぁ、日本人の場合は生きている人と死んだ人の境目を非常に重要視して、死んだが最後、別のものと考える、そういう文化なんです。