ブラタモリ、札幌の街を歩く(2)

赤が札幌村昨日に続いて、ブラタモリの話です。

札幌の開拓が始まったのが、明治2年。

だから、今から150年前。

まるやまファミリー歯科の近くのM山小学校(仮名)は、今年開校140周年。

先日行われた記念式典では、生徒たちは当時の校歌を歌いました。(圓山尋常高等小学校の校歌です)それはいいとして、札幌はアイヌ人以外は倭人2戸7人から始まった。

「モハチ」さんちと、「鉄一」さんち。

すすきのができた理由もわかりました。

明治4年、ススキノ遊郭は開拓する男が寒さの厳しい冬を、暖かい故郷に帰るのを引き止めるために、国が作ったのデス。

国主導です。

その4年後、遊郭の北側にすごい速さで街ができた。

これが札幌村です。

これ、民間主導。

その後近辺には円山村、山鼻村、琴似村など二十数個の農村が、ポツリポツリでき始めた。

その後炭鉱が閉鎖して、地方から職を探して人々がドンドン流入してきた。

そして、村が膨張してひっついて、札幌ができた。

だから道路の接続が時々不自然なのデス。

ブラタモリでそんなことを言っておりました。

ブログ一覧